不夜城と言われた歌舞伎町でのティッシュ配りの注意点

もし新宿歌舞伎町でポケットティッシュを配っていなかったら、このアパレルの仕事はしていなかった。

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 1994年21歳の夏、日本に一時帰国してバイトをしていた。

ジャニーズ系列の日サロ広告のポケットティッシュを歌舞伎町の劇場通り(一番街)で配っていた。歌舞伎町は女性に声をかけるキャッチ(スカウトマン)や怖い方々や変わった人など様々な人間模様だった。バブル崩壊の後だったけど、活気のある街並みで新宿は好きな街だった。

ティッシュ配りの仕事にはノルマがあり、枚数を配り終えると仕事が終わるシステムだった。なかなか通行人は受け取ってくれない。

手に5〜6個ポケットティッシュを両手で握り『どれだ〜?』と通行人に選んでもらうシステムを始めた。

すると配り終える時間が今までより、かなり短縮された。

 

俺の通行人への話術を気にかけたキャッチの方々から、うちで働かないかとオファーをされるようになった。

極妻系の姉御さんに『ガチャピン』と言うあだ名をいつの間にか授かった。

劇場通りに行くと『ガチャピンおはよう!』とキャッチに声かけられる羽目になった。

 

ある時『あれ書上じゃね?』と声をかけられた。

高一の時クラスは違うが、一つ下の階の小川君だった。

『すぐそばでお店始めたんだよね。』『NYに買い付け行くから遊んでよ。』

以前、友人が新宿に面白い洋服屋があるからと誘われた店『JACK POT』のオーナーだった。

 

ここからアパレル業界に足を踏み入れてしまった訳です。

 

あの時キャッチのバイトに移行してれば、このフイナムのブログには書き込んでいなかった事は確かです。

 

不夜城と言われた歌舞伎町でのティッシュ配りのバイトには注意してください。(笑)

 

決して後悔はしてません。

 

今後何が起こるかわからないから

 

『毎日磨くスニーカーとスキル』by TWIGY

 

 

Salute

 

Kirk

 

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 つづく

 

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